あれから一年

2012年3月11日 日常
あれから一年
東日本大震災から丸一年経ちました。

(正確にはまだ数時間後ですけど)





http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120311-00000065-san-soci




あの日、、、ナニがあったのか自分で思い出してみる。

俺ん店は午後の受付が14時からなので46分っていうと3-4人患者さんが居たな、、、強い揺れを感じて、すぐに「こりゃヤバいんじゃね?」と患者さん達をベッドの下に隠れさせたな、、、。

で、俺も「隠れなきゃ」って思いつつも良く考えたら残ったベッドの下には材料(薬剤やら鍼の在庫)がどっさり鎮座しててしまった、、、誰を押し退けよう?とかうっすら考えてたのは内緒だ。

第一波が結構長いこと揺れていたが、それがおさまったとき、、、まぁ、その時はわりと皆普通に「今のでかかったねぇ~」なんて言いながらそれぞれのベッドに這い上がり、普通に治療の続きを受ける構えだったさ。

その後何回も、、、特に直後の第二波が大きかっただろう?

続く余震にその都度ビックリさせられながらもその場に居た全員がキッチリ治療を受けて(鍼うつヒトは鍼も、な)帰っていったさ、、、、まぁ、そのくらい緊張感が無かった。

無論、ニュースは聞いていたよ?毎日ほぼつけっ放しの東京FMは鈴木おさむの番組を流していたけど、途中で特別報道番組とやらにバトンタッチしてね、繰り返し交通情報や地震被害に関する情報を(解っている範囲でだが)流していたので大雑把には掴んでいた、、、だが、本当にこのときはナニも解っちゃいなかったんだよ。

4時過ぎにもなると最早誰も患者さんは来なくなった。

(逆に言えばそれまでは割と普通に患者さんが「今のスゴかったねぇ!」とか言いながら来ていた)

俺の店は新大橋通り沿いにあるので、その頃になると店の前を通常考えられないくらいの人数の人々が徒歩で都心方面から東に向かって移動していた。

皆、基本的には普通のビジネススーツで歩いているんだが、2割くらいかな?白い工事用ヘルメットみたいなものを被っていたり銀色の防災ナップサックを背負ってるヒトが混じっていてさ、、、あんなモン何処から持ってきたのかね?用意が良過ぎんだろ!?なんて思いながら見てたよ。

俺が余裕ぶっこいてヒマだしちょっくら横になんかねーなんて思っていられたのはなんだろうね?

やっぱり少ない情報から正しい方向性を見出せなかっただけかな、、、電気や水道は特に問題無く使えたし(ガスについては俺の夏頃の日記参照)、なにしろ俺の店では何一つ物が落ちたり倒れたりしなかった(実は通勤用のNSFが倒れてチェンジペダルが曲がってしまい、この後焦って帰ろうとしたときに難儀していたが、、、)のも大きかったな。

そうそう、猫とは連絡がずいぶん長いこと取れなくってね。

http://reijirou.diarynote.jp/201103111615307486/

当時、ネットは比較的通信状況が安定していたので俺の日記のコメント欄を使ってなんとか連絡が取れないかと思ってたんだけど、こういうのは片方だけが思いついても全然、意味が無ぇな(笑)

俺の一人芝居の記録が残るだけだ、、、DNのアドレスを探すくらい子供でも出来そうだが、パニクってる中で思いつくのは確かに難しいかもな。

たまたまなんだが、もう5時近くなってからだったか?偶然猫の携帯に繋がってね、、、やっと連絡が取れた。

通話内容は確かこんなだった、、、

俺:お、やっと繋がったな、みんな無事か?

猫:えーと、、、まだ帰ってないの?

俺:?俺は店だよ?怪我したヒト来るかも知れんだろ?

猫:ああ、、、そうなんだ、、、

俺:ん?、、、オマエ、家に居ないのか?

猫:あの、、、えーと、、、今、小岩、、の手前?なのかな?

俺の家は堀ブナなんだが、、、何故そんなヘンな場所に、、、?

猫は大変言いづらそうに説明してくれた。

猫:あー、、、あのね、友達と本八幡にお茶しに来ててぇ、、、お迎えに行かなきゃいけないと思って帰ろうとしたらスゴイ地震が来てぇ、、、電車(新宿線)が動かないから、隣の市川駅まで歩いて、バスに乗ったんだけどそのバスがちっとも動かなくてぇ、、、

俺は自分の忍耐力に感謝することがままあるが、こんなにも何処からツッコんでいいのか解らない電話をしたのは初めてだった。

俺は「解った、気をつけて帰って来い」とだけ言うと電話を切って店を閉めた。

愛機NSFに跨ったものの、前述の通りペダルが転等の折に曲がってしまっていたのでそれを強引に引っ張って直し、堀ブナに向かった。

途中の道路はお盆の最終日の夕方に東名足柄SAあたりから都心方面を眺めたときのような密度のテールランプの行列だ。

(更に車と車の間を縦横無尽に駆け抜ける無法チャリが危険度に華を添えている)

俺の(一部が)赤いNSFは通常の3倍速で運行しているつもりだったが、結局普段の2倍の時間をかけて自宅に帰り着き、誰も帰っていないのを確認した。

そこから小学校を2つ巡って子供を全員回収し、腹が減ったとピーピー泣くので飯を喰わせ、震災関連のニュースをネットで拾った。

俺の日記によれば当日22:45の書き込みにて猫が帰宅したらしい。

本八幡>堀ブナ間はおよそ9km、、、歩いても2時間だが、えらいこと時間をかけて帰ってきたな。

(俺ならもう一生分路線バスに乗ったと思うかバスには一生乗りたくない気分だと思う)

その日は家族全員が同じ布団で寝た。

















俺は、ただこの日のことを忘れないようにしようとだけ、思う。

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