ただただ悲しい

2012年1月25日 日常
ただただ悲しい
こういう事件があって「誰それの対応が悪い!」とか「本人達の努力が足りない!」とか言うヒトも居るだろう。

でもな、結果があってから言うのは簡単だし、知らないことや知ろうとしなかったことを「罪」だと責められても困るじゃないか、、、

だって、広義には俺たちもまた


 知 ら ず 、 知 ろ う と し な か っ た 


周囲の一人のワケだしな。





http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120124-00000032-mai-soci




誰かの不幸、、、きっと小さなボタンの掛け違いの積み重ねなんだよね、、、それを共感し、悼むのは解る。

ただ、そこにある矛盾や理不尽を当事者はもちろんその周囲の第三者にぶつけるのは間違っていると思うな、俺は。

責任を感じたり後悔の念に苛まれつつも、それを次に同じ不幸を繰り返さない糧とするのは、きっとその周囲の第三者達なのだろうからね。






俺たちはー敢えて「たち」をつけるぞーともすれば自分の立場と目線だけで物事を非常に単純化して捉えてしまう。

税金を安くしろだとか、医療費が高過ぎるだとか、公共事業が多過ぎるだとか、な、、、。←主に俺目線の不満だなw

無論、現状が常に正しく疑いの余地が無いなどとは言わん、、、大いに間違ってるし、不公平も甚だしい。



ただ、その制度やシステムによって救われるヒトも居るという事を忘れちゃいけないような気がする。

今は払わされるばかりで回収の目処も立たない年金にしても、運用方法や基本的な分配原理は間違っているし既に破綻していると言っても過言ではないが、ソレで生活している人々が居るという現実の前では俺には「ソレ間違ってるから全撤廃よろwww」とか言えない



ヒステリックに原則・原理の整合性を訴えるよりも、俺にも出来る「優しい生き方」を模索しなきゃな、、、なんて、ガラでも無いが考えた。

、、ちゅーか全然ハナシが飛んでてサッパリ論旨が解らんなぁ、、、そこが俺クオリティって言えばそうなのかもな、、、とりあえず俺がそんなヘンなコト考えるきっかけになったニュースだな、うん。

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