その行為は「誰かを困らすことにならないか?」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111208-00000043-sph-soci
人と人との繋がりが希薄なんだろうねェ、、、イロイロな意味で、な。
自分にとってメリットのある事柄が、他方で誰かに迷惑になるのではないか?という思考は社会生活では当たり前の論理基盤かと思ってたんだが、今は違うらしい。
以前の「右に倣え!」という社会では上手く生きていくための手段だったが、今日の超☆個人主義的な社会では人格の埋没をも意味するのか?
確かに他人を出し抜くという生き方が個人を幸せにすることもあるだろう、、、それは否定しまい。
ただ、そう考える個人が増えれば増えるほど社会はカオスに近づく、、、まぁ、社会を構成する個人がすべての行動原理が社会規範をないがしろにするというなら、既にそこにはルールと呼べるものが無くなっているというワケだ。
俺は、一度きりの人生を生きるにあたって「後悔の無いように生きる」というのには賛成だが、同時にそのために他人に犠牲になって欲しくはないとも思う。
結婚や家庭というシステムの是非について論ずる気は無いが、現状のルールでは自分の正直な気持ちに従ったら自分の周囲の人間が全て不幸になるという結末がある場合にはその選択したくない。←俺個人の場合ね、、、否定はしないが俺は嫌だと言うスタンスです
別に他人に押し付けようとは思わんが、ある程度の意識を持って生活した方が自分も周囲の人々も気持ちよく暮らせるんじゃないかとは、思う。
俺も何度もバイクを盗まれて嫌な思いをしたし、資格喪失後に返納していない保険証で詐欺に遭うこともあった。
出来れば、同じ思いは他人には味あわせたくない。
自分達で購買を切り盛りさせると言うアイデアは素晴らしいと思う、、、体験から学ぶと言う意味では(学校関係者の苦労は察しますけど)一番効果的だったんじゃないかね?
売ったり買ったり、頼んだり頼まれたり、、、そうした事柄の延長に社会生活があると気付いた学生はもう馬鹿なことはしないだろうね。
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